Project 1
藏知 孝史
2001年入社
当時:千葉支店
ネットワーク部
所外設備担当
(基地局設備の点検や故障対応を行う現地保守業務を担当)
大槻 拓也
2018年入社
当時:千葉支店
ネットワーク部
所外設備担当
(基地局設備の点検や故障対応を行う現地保守業務を担当)
石川 帆夏
2019年入社
当時:千葉支店
ネットワーク部
エリア品質担当
(エリア内の通信品質の調査・改善業務を担当)
関東から東北に甚大な被害をもたらした台風15号は、その記録的な猛威から、のちに『令和元年房総半島台風』と命名されました。こうして気象庁が台風に命名を行うのは42年ぶりのこと。それほどまでに凄まじい台風だったのです。
『房総』と名がつくとおり被災地の中心は千葉県。ドコモCS千葉支店ネットワーク部のメンバーは、台風発生の予報を受けた瞬間からすぐさま対策に乗り出しました。
台風などの自然災害に見舞われた際は、まず千葉エリア内の基地局を回り、現地の状況を確認します。次に、電力会社やNTTに対して、電力の供給が止まってしまった箇所の修復を依頼。それと並行して、移動電源車等を運用して電力復旧までの期間をカバーします。電力復旧後は、基地局等の装置の状態を改めて確認し、故障箇所の修理を進めていくという流れでネットワークを守っているのです。
台風15号の襲来により、千葉県内で半数以上の基地局が影響を受けました。すなわち、千葉県のおよそ半分のエリアでドコモのネットワークが使いづらい状態に陥ったということです。
こうした状況のなか、ドコモグループでは1日あたり約2,000名体制で復旧作業にあたり、10日後にはエリア内全域の通信を回復させることに成功しました。しかし、それはまだ完全な復旧とはいえず、そこからさらに数週間をかけて設備の故障対応を行っていったのです。
ドコモからサービスの復旧報が発表されたのは、台風発生から10日後のことでした。「被害を免れた基地局を調整したり、電源車を活用して基地局を持ち堪えさせることでお客さまの携帯電話がつながる状態に回復させることはできます。その作業が完了した時が一般的な復旧でしょう。しかし、完全に停電状態から回復した後でなければ、装置の状態を正確に診断できません。ですから復旧報が発表された後も、本当の意味での復旧作業は続きます」。そう語るのは、千葉支店ネットワーク部 所外設備担当の藏知 孝史。今回の災害においてはドコモ災害対策本部と現場との間をつなぎ、復旧までをリード。現場の状況を本部に報告し、本部からの指示をもとに現場のメンバーに作業を割り振る役割を果たしました。
藏知からの指示を受けて現場で復旧作業にあたったのは、おなじく所外設備担当の大槻 拓也です。当時はまだ入社2年目ながら、台風で荒れ果てた町の中を力強く進み、作業に取り組んだメンバー。「僕たちは車でエリア内の基地局を巡って確認作業を行うほか、移動電源車を使って基地局に電力を供給したり、発電機の燃料補給など、現地の最前線で活動しました」。
当時、本配属前の新人だった石川 帆夏は、ネットワーク部内でOJT研修を受けていた時に災害に直面しました。「避難所支援として災害対応充電器やWi-Fiの設置をはじめ、できることは何でもする精神でさまざまなお手伝いをしました」と語ります。
また、千葉以外の各支店・支社やドコモグループからも多数の応援メンバーが集まりました。グループ一体となって取り組んだ作業について、藏知はこう振り返ります。「千葉の人員だけでは到底対応しきれません。あの時に手を差し伸べてくれた方々には今も感謝しています。自社のほかにも、ドコモやNTT、通信建設会社など、さまざまなパートナーと連携できたからこそ、早期復旧を果たせたのだと思います」。
台風の爪痕は深く、倒木によって道が塞がれるなど、基地局にたどり着くまでにも困難が待ち構えていました。大槻が言います。「苦労して基地局まで着いたら、作業スペースが取れないほど倒れた木が覆い被さっていたり、基地局のすぐ隣の小屋が潰れてまっさらになっていたりと、変わり果てた町の様子に愕然としました」。
避難所支援に向かった石川も同じく道中は苦労したそう。「停電で信号が稼働していなかったので、交差点をハンドサインで進みました。正直に言えば怖かったです。でも、私が行くのを待っている人たちがいる。その思いがあったから前に進めました」。
現場が混乱を極めるなか、支店で対応策を練っていた藏知のもとでも、たくさんの情報が飛び交っていました。「刻々と変わりゆく状況をいち早く把握し、方針を変更するなどの判断をしていくのは大変でした。大槻たちに現場へ向かってもらう最中に状況が変わり、また別の場所へ行ってもらうなんてこともよくありましたよ」。
また、本部と現場との間で生じる意見の食い違いをおさめるのも藏知の役割でした。苦労したことをこう語ります。「例えば道が塞がれていると聞いたら、本部は歩いて現地へ向かえばいいと言うんです。でも、発電機はかなり重くて男性でも運べません。現場を知らない人にもわかりやすく状況を伝えなければならないし、現場のメンバーからも正確に情報を得て指示を出さなければなりませんでした」。
そんななか、追い打ちをかけるかのように10月には台風19号が発生。15号と19号の間で境なく復旧作業にあたった大槻は、当時をこう振り返ります。「大変でしたが、現地をよく見ていたタイミングだったので、『何をすべきか。自分にできることは何か。』自然と行動することができました」。
2つの台風から連続して被害を受ける未曾有のさなかでも、喜びを感じる瞬間はあったと言います。「避難所の支援に行った先で、お客さまから感謝の言葉をいただいた時にはグッと込み上げるものがありました」と語る石川。また、先輩社員たちの真剣な姿から、彼女の入社動機だった『人の生活を支えたい』をまさしく体現する仕事であることを実感し、胸が熱くなったと言います。
大槻は当時、ネットワーク技術者として働き始めてちょうど1年が過ぎる頃でした。「そろそろ独り立ちというタイミングだったので、一通りの対応はできるようになっていました。僕のそれまでの経験を総動員して、設備の1つひとつに向き合うことができました」と、復旧に貢献できた喜びを語ります。
藏知が語ったのは、さまざまな人との結びつきを実感した点でした。「千葉支店はもちろん、社内外のたくさんの方との団結力に救われました。ヒューマンネットワークの大切さを実感しましたし、関係者全員で目標を成し遂げられた喜びは大きいです」。
通信事業者として法律で定められた使命を全うすることは言うまでもなく、日頃から通信を支える技術者として感じているお客さまへの思いも、彼らを突き動かす大きな原動力でした。
「携帯電話がつながらない状態はすごく不安ですよね。だから1秒でも早くお客さまを笑顔にしたい。災害時だからこそ、大切な人とつながる安心を届けたいんです。それができるのは自分たちだけ。この仕事に大きな誇りを感じます」と、笑顔を見せる藏知。ドコモのネットワークを支える社会的使命と責任の大きさは、そのまま仕事のやりがいの大きさに通じていると言います。
こうして地道に復旧作業を進めていき、台風15号・19号の連続襲来から数ヶ月後にはすべての基地局や伝送路の不具合は完全に解消。今回のことをきっかけに、ドコモグループ全体として災害対策を強化する動きも生まれました。ネットワークの更なる強化をはじめ、ドコモショップへの備えや被災地支援を目的とするシステムの高度化など、災害対応力の強化が図られたのです。
「災害をなくすことはできませんが、災害が起きた時のことを想定して準備をしておくことはできますし、この経験を次に生かしたいです。もしもまた災害が起きた時には、私が積極的に支援にあたります」と決意を述べた藏知。
その言葉にうなずきながら、大槻も災害への思いを語りました。「現在の職場は東日本全域の基地局等の状況を遠隔監視するネットワークオペレーションセンター。千葉での経験があったので、ここに異動してすぐに災害対策を個別課題に設定して取り組んでいます」。
当時は新入社員だった石川はネットワークの建設に関する部署へ異動し、ネットワーク品質の改善に取り組んでいます。「最初にあの災害を経験したからこそ、どんな小さな可能性も見過ごさずに準備をしておくことの大切さを学びました。いざという時にどう行動するか、それを考えておくことが私たちの責任です。お客さまの不安を笑顔に変えるこの仕事に、これからも真っ直ぐな気持ちで取り組んでいきます」。