震災からの復旧
災害時も大切な人と
つながるために。
令和6年1月1日に発生した令和6年能登半島地震(最大震度7)により、同県で多くの圏外エリアが発生。
通信の確保は電気通信事業者の使命であることから、ネットワークの早期復旧に向けて、
ドコモCSの社員も北陸地方の支援に尽力しました。
Talk Member
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山﨑 真太郎
1999年入社
当時:
現地支援
(支援リーダー) -
山口 尚子
2015年入社
当時:
遠隔支援
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狩谷 陸斗
2020年入社
当時:
現地支援
(復旧活動メンバー)
山﨑
私は関東甲信越地区(中央管内)の支援リーダーとして、石川県の支援に入りました。中央管内から約183名が順番に現地へ出向き、毎日5~6班のチームを作って支援活動を行っていました。
私はそのチームをまとめる役割として参加しました。本部からの応急復旧指示に基づいて、中央管内のメンバーや他支社の支援リーダーと連携し、道路状況の確認や災害対策機器の選定、作業の進捗などの情報を共有しながら復旧活動を進めました。で、狩谷さんも現地に。
狩谷
そうですね。私は復旧活動のメンバーとして現地に入りました。停電で電力供給が絶たれた基地局には、発動発電機を使って電力を供給したり、移動基地局車等を用いて衛星通信で圏外エリアの通信を復旧させる作業も行いました。
山口
なるほど。私は品川にあるネットワークオペレーションセンターで遠隔支援を担当していました。具体的には現地に到着した移動基地局車の運用サポート、復旧した基地局の正常確認、そして臨時で運用していた移動基地局車の運用終了時の停波まで遠隔で支援しました。
聞いたところによると、現地はもう車が通れなかったとか?
狩谷
まさにそういう状況でした。宿泊所や拠点は金沢だけれども、被災地は半島の先の方で…場所によっては本当に被害が大きかったです。私たちの活動拠点は半島の、先端にある珠洲でした。
山﨑
活動拠点の金沢市から被災エリアまでは崩落や寸断等により通行可能な道路が限られ、自衛隊から情報入手する班もいれば、詳細な被災状況が不明の中、ナビを頼りに現場に行った班もいたようですね。狩谷さんたちの班が行かれたところはどういう状況でした?
狩谷
運転はかなり慎重に行いましたし、無事に基地局にたどり着けるか、不安もありました。
ひどいところは岩が落ちたままの状態になっていたり…。
山口
私たちオペレーションセンターにいたメンバーは、「いつでも待っているので、頑張ってください」と、無事を祈っていたのを覚えています。
山﨑
そうですよね。本当に、現地活動メンバー以外は待つしかない。結局、通信が遮断されている被災エリアの復旧に行くので、連絡が取れないんですよね。
狩谷
他にも、天候がすぐ変わるのが苦労しました。作業していたらいきなり雨が降ったり、雪が降ってきたり。そういうので中断することもあって、状況の変化が結構厳しくて。
山﨑
通信ができないから、現地の作業環境の変化がわかなくて、やはり待つことしかできないんですよね。状況によっては日没後の作業もありましたよね。
山口
本当そうでしたね。1日の区切りがわからなくなりました。元旦の日に課長から電話があり、「復旧班が動き出すから、災害担当のチームを作ります」と告げられました。「これまでも災害対応を経験しているから出られる?」と言われて、早いタイミングで合流し、支援活動を行いました。
山﨑
では、災害が発生して、本当に最初の大変な時からご存知なんですね。私は、1月下旬頃に現地に入ったので、通れる道・通れない道などの情報がなんとなく入ってきた中での活動でやりやすかったのですが、最初の状況はどうでしたか。
山口
現地の基地局に向かうのに半日かかると伺いました。で、半日かけて帰る、と。だから、設営がうまくいけばいいんですけど、持ってきた機器が動かない。朝一で点検した時は動いたけど、現地に行ったら思いのほか動かない、ということもあり時間が読めないと。
オペレーションセンターとしては、どの移動基地局車から連絡が来ても対応できるよう進捗を把握し、待機しました。
あとは、通常業務もありますので、オペレーター間での連携は密に行いました。
山﨑
そうそう、スターリンクを復旧活動で使ったんですよ。やはり衛星携帯電話だと繋がりづらかったり、動画も見れない。けど、スターリンクだとサクサクなんです。これが復旧活動を加速させるきっかけとなりました。
※低軌道衛星である「Starlink」を活用した、衛星ブロードバンドインターネットサービスで静止衛星と比較し高速・低遅延の通信が可能。
ドコモグループによるStarlinkの提供は2023年12月21日から「Starlink
Business」として開始されています。
大変な災害復旧対応の中には、喜びも。
狩谷
僕は支援リーダーの方から(復旧対応によって)圏外エリアがつながるようになりましたと報告したときに喜んでもらえたことが嬉しかったです。圏外だった場所が実際に復旧し、目に見える成果を達成できたことに満足感を感じました。
山﨑
私は支援リーダーとして、現地に行くメンバーが十分に休めるよう配慮し、現地に赴く各班の担当場所を決めていました。前日の夜には車両や災害対策機器の準備・再配も行い、返却時のケーブル類や付属品の確認など細かな管理にも苦労しました。
全国から様々な機器を組み合わせて使い、予定通りに現地に到着し設定できたことは大きな達成感がありました。
山口
私は現地の通信状況が見えないため、画面を見ながら電源の状態や装置の状態の変化をひたすら監視しながら待っていました。なので、画面越しではなく、実際に通信がつながり、現地の人と「トラフィックが入った」とお互いに確認できたとき、本当に嬉しかったです。特に衛星電話ではなく通常の携帯で話せた瞬間が一番の喜びでした。
徐々にネットワークが回復している中、関わった自分も社会インフラを支える一人だと誇りに思いました。
あとは、KDDIさんと協力し、船上基地局から電波を発射したとか?
狩谷
地震の影響で海側の地域も通信がつながらなくなっていましたが、住民の方から「待っていたよ」と感謝の言葉をもらいました。特に年配の方から直接感謝の言葉をいただき、とても喜ばれました。直接住民の方とお話しできたことや、お客さまが笑顔になった瞬間は忘れられないです…!
いつどこで災害が発生しても、
お客さまに通信をお届けするために。
狩谷
初めて災害現場での復興支援を行いましたが、先輩社員にサポートいただき、学びの多い体験でした。またお客さまからの『ありがとう』の声を直接聞けたことが、やりがいを感じた瞬間ですし財産となりました。
自分の仕事の先にはお客さまがいることを常に意識し、今後もスキルを身に着けていきたいと思います!
山﨑
支援グループ内で毎晩行われる翌日の復旧計画の中では、中央支援メンバーから「復旧作業が大変でも遠方でも構わない」という強い意欲と矜持(きょうじ)を感じ、とても頼もしく思いました。
今後の復旧活動は状況に応じて常に変化していくと考えています。
山口
有事の際には、日ごろの鍛錬が試されます。
技術面も体力面も一日にしてならず。ネットワークも日々進化しています。
この経験を忘れずに、いざという時にさらに頼られる存在を目指したいです。